2016年3月4日

今までと、これからと

■雑記(ひとりごと)
自転車乗りへのきっかけとか思うところというやつで
自分なりのメモなので誰得です。


自分がスポーツバイクに乗るようになったきっかけとして
自分の人生にとって大きな転機のようなできごとがあってから乗るようになりました。
苦難の類だったので起きてからすぐ乗ったわけではなく、
足掻き苦しんだ末に乗るようになったという感じですが。
とにかくそのできごとで得た教訓、先々得たいものを常々念頭に置いています。

○1 他人を信じないこと。
悪い意味に聞こえますが、まぁ概ね悪い意味です。
そのできごとで一種人間不信に近い状態になったのですが、
現時点でそれはひとつの観点として自分の中に置くようになりました。
自転車に乗っている時も、決して他者を信用しない。
あらゆる環境、人や車は自分に牙をむいてきますから
常に最悪最低のケースを想定することで事故をできます。
機材に対しても他人が言ったこと、やったことを信頼しません。
あくまで「そういうこともあるのね~」で自分に利益になることだけを拾います。
基本は自分でやってみること、自分がした失敗は次に繋がりますが、
他人に巻き込まれた失敗は恨みにしかなりません。
自分の住んでいる地域のショップは有名ドコロは足を使って概ね網羅しましたが
極々一部を除いて基本的には1度行ったきりです。
接客、工具の扱い方、自転車の扱い方・接し方、そういうので納得がいくものには
そうそう出会えるものではないです。
どの店も常連がたむろしている姿しか見えませんし、概ねそういう業界です。そういうのをみるのも、接するのも疲れますから基本的に自分で解決します。
結果、工具代が偉いことになってますがね…満足の対価なので後悔はしていません。

○2 自分の歪みに合わせること。
概ね誰しもが一定の歪みを持っています。
精神的にも肉体的にも。
自転車に乗るということは機械という歪みのないものにまたがることですから
オーダー品を除いて、素で体に完全にジャストフィットするということはありません。
自分がその自転車に歪みを矯正するのは非常に酷ですし、面白くもない。
それに次の自転車が同じ歪みとも限りませんから、機材の方を自分に合わせる。
自分の連れ添う人も同じ歪みであることなんかありえません。
自分を捻じ曲げて苦しい思いをしてもいい思い出なんかできませんから
間にお互いの歪みを補正する治具を用意できないなら
そういう関係は摩耗するばかりですからやめるべきです。
サドルだって無理して座ったらケツが痛くてあたりまえです。
シート高やポジショニングは変えれてもケツの形はなかなか変わりませんからね。

○3 付き添える相手であること。
自分のライフスタイルやモットー、フェチズム等に重ねてみた時に
その相手が自分の身の丈に対して過剰じゃないかということです。
トマジーニもそういうことで、決して過剰に高いから安い製品にするとか
そういう失礼な理由で選ばなかったわけではなく
あくまで自分のスタイルにはc-roadの方が近いからです。
トマジーニ・シンテシーは火野正平氏がNHKの番組で乗っていて有名で
番組中、到着した先々で自転車をどこかに立てかけていく姿が映ります。
我々がそういうことをできるか?と言えばNOです。
戻ってきた時には姿がなくなっていますし、あとに残るのは後悔だけです。
あれは随伴するスタッフや機材車が居て初めて成り立つ姿であって
普通は頑丈なロックで地球留めするのがセオリーですから
高級な自転車であるほどその心労は増えていきます。
美しいフレームですし、欲しいとは思いますがその分だけ盆栽になってしまいます。
また、必要以上にスペックを求めて華奢になるのも困ったものです。
シンテシーはクロモリなので良いですが、フルカーボンフレームはダメージに気を使いますし
自然と破断してしまうこともありますから、乗ってて頭にそれがよぎると気持ち悪いわけです。

そういう意味で、カーボンバックのtrek2.1は自分には少し過剰でした。
どうしても気になってしまうのですよね、軋みが聞こえたりすると心配になりますし
不意に段差を踏むと帰宅して必ず後三角を点検していました。
ホイールの振れは直せてもカーボンはどうしようもないですから。

c-roadはその点自分には今のところいいことづくしです。
・その辺の自転車屋じゃ絶対に相手してくれない種のフレーム
・自分でもまだ組み立てたことのない古い規格が目白押し
・値段も然ることながら、見た目にも高級感が無いので地球留めしてても割合安心
・突然死しにくい素材、錆る恐れはあっても破断はそうそうしない
・普通諦める部分も逆に大胆に治す気になれる

最新が最良であるとも限らないということです、ある部分では最高ではあると思いますが。
c-roadの記事の写真を撮影するのに久々にK20Dを使いました。
画質はK5IIの方がずっと綺麗なのですが、使っていてしっくり来るのはK20Dの方です。
連写も効きませんし、感度も低いですし、素子もノイジーなのですが
セットアップはK20Dの方が絵に味わいがありますし、鈍重なシャッター音も心地よいですし
少し大きて重いボディの方が安定感があります。
こういう、相棒感、伴侶感のある道具はずっと持っていたいと思います。
人も、道具も、長く気楽に、そして決して理不尽に自分を裏切らないのが良いです。

今のところ自転車は自分にとっての精神安定剤のような存在です。
嫌なことを忘れたい時、これから辛い仕事へ出向く時、クタクタに疲れて帰る時
自転車に乗っていると色々解決されます。
去年は父親の件でほぼ一切ロードに跨がれませんでした。
離れることで逆に大事だと判ることはよくあると思いますが
今回も自分にとって自転車は重要なファクターであると再認識できました。
春になればまた自転車の季節です。
今年は去年までのことは忘れて、また通勤にロングライドにと楽しみたいです。

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